韓国で高校生を乗せた船が沈没する事故が発生!事故のまとめとその後の状況は?

私たちの記憶に残るセウォル号転覆事故

2014年に韓国で起きた「セウォル号転覆事故」は記憶に新しいところです。韓国では今でも街の中で黄色いリボンのキーホルダーを配布しています。これはセウォル号転覆事故の関係者が配布しているものですが、そもそもこの事故はどんな経緯だったのでしょうか。

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高校生を乗せた韓国の船「セウォル号」が沈没した経緯

2014年4月16日に、韓国仁川港を出た大型客船「セウォル号」は韓国のリゾート地で有名な済州島へ向かっていました。この済州島は韓国でも、リゾート地として人気の場所で修学旅行場所としても、とてもメジャーな場所です。

船には、修学旅行中の安山市の檀園高等学校2年生の生徒325人と引率教員14人の他、一般客108人、乗務員29人の計476名が乗船し、車両150台余りが積載されていました。ちなみにこの檀園高等学校は比較的新しい学校で2005年開校した学校です。

事故が起きたのは4月16日朝8時46分頃、珍島の西方にある屏風島と観梅島の間あたりにさしかかった頃で、セウォル号は突然右(南西方向)に45度旋回して傾き始めたといいます。

乗っていた男子生徒によると「『ドン』という音が聞こえ、船が傾いた」という証言が残っています。船が沈没したのはそれから約2時間後の10時17分頃。結果的に、犠牲者数は乗員・乗客の死者299人、行方不明者5人、捜索作業員の死者8人という大きなものとなりました。

韓国で船の事故はなぜ被害が大きいのか?

ここで少し疑問があります。沈没まで2時間もあったのならば被害をもう少し抑えられたのではないかということです。

たとえばこの事故は、日本で2009年11月に三重県で発生した「ありあけ」座礁横転事故とよく比較されます。ほぼ事故の経緯がよく似ていることと、犠牲者がいないこと、セウォル号の船長は早期に脱出したのですが、「ありあけ」の船長は最後まで現場で指揮に当たり最後に救助されていることなどが韓国で比較されている理由です。

事故当時はテレビでも多く流されていましたが、事故直後は乗船客に対して「その場にとどまるように」という放送がありこれが避難の遅れにつながったという意見もあります。また、最初の通報の遅れも原因の一つとして挙げられています。

最初の通報は、船員からではなく乗船した生徒から。そして、それも事故から10分以上たった8時52分が最初の通報とされています。これらが重なり大きな被害を出したと考えられています。

韓国船転覆事故の引き上げとその後のまとめ

未だに事故の経緯や、船員の行動など謎の多いこの事故。韓国でも原因追究が求められています。

なぜ、船長が最初に逃げたのか?新人の女性三等航海士に操船を任せていたのか?通報はなぜ遅れてしまったのか?など多くの疑問が残ります。

そして何より未だに見つかっていない犠牲者も多いため、家族にとっても辛い日々は続いていると言えるでしょう。現在も犠牲者やその家族への寄付として、街の中では週末ごとにテントが張られ犠牲者の写真と寄付を募る呼びかけが行われています。

2017年には船が引きあげられ。遺骨が見つかり犠牲者の一人のものと判明しましたがまだ見つかっていない人も2017年9月現在で5名いらっしゃいます。

韓国だから、日本だからと事故が起きるものではなく、船や飛行機、電車などでもいつどこでどんな事故があるかは誰にも予想が出来ません。事故の一刻も早い解決と、残された5名の方の遺骨が発見され、安らかに天国で休めるようお祈りしています。

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